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本当に思っていることを発信したら、叩かれてしまった?出したい自分を表現する時に知っておきたい大切なこと。

自分が本当に思っていることを発信したら、叩かれてしまったんです・・それ以来、本当に思っていることが、書けなくなってしまって・・

という相談を受けることがあります。
そのたびに思い出す、ちょっとセンチメンタルな元彼とのエピソードがあるんです。今日はそんな話から。

目次

いくらたみちゃんが理解できなくても、僕は行きたいから行くんだ

その人は5つ年上の男性で、”お前の故郷はフランスか?”と思うほどレディーファーストでロマンチストな人だったんです。(以下、その人のことをフランスと呼びます。)フランスとは4年くらい同棲していて、職場も一緒な上に土日も一緒に出かけて、一度もケンカしたことないほど仲良く過ごしていました。

そんなある日、フランスから、「今度の土曜日に同窓会があるから行ってくるね」と言われた私は、「いいね!わかったよ~」と何の気なしに返事をしていました。

ところが、当日の朝、フランスは神妙な面持ちで私に話があると言ってきたんです。
「たみちゃんあのね、実はね、今日同窓会って言ってたの、違うんだ」
「???」
「本当は、たみちゃんの前に付き合ってた人と会うんだ」
「?!?!?!」

は?何・・?嘘ついてたの?
ていうか、なんでこのタイミングで言うの?
あなたは私に白状して、で? 行くつもりなの?
じゃあなんで言うの?

私の頭の中はパニックになりました。

フランスが言うには、私の前に付き合ってた元カノから「わたし結婚するの」と連絡があり、式の前にもう一度あなたに会いたいと言われたのだそうです。(お前も相当な”フランス”だな!)

そして、弊フランスはこう続けました。

「自分は彼女を女性としてでなく、一人の人間として大切に思ってる。だから向こうが望むことをしてあげたい。会いたいと言うなら会いに行きたい。たみちゃんにはその価値観を理解してほしい。のだと。

当時、まだ25歳で、”それも価値観の違いのひとつ…”などと受け入れられる状態ではなかった私は、フランスにそれは嫌だと伝えました。「行ったら傷つく」と。「あなたのことを今までのように好きでいられなくなるかもしれない。」とはっきり言いました。

それにもかかわらず、フランスは「いくらたみちゃんが理解できなくても、僕は行きたいから行くんだ」と言って、出かけて行きました。

そして、私たちは、なんとその翌日に別れることになったんです。

自分の価値観を大切にして、別れを選ぶフランス

趣味や食べ物の好みはとても気の合う人だったので、”あの時に許せていたらフランスと結婚したのかな”と振り返ってみることもたまにありました。”「同窓会に行く」って嘘をついたまま行ってくれたら良かったのに”と思ったこともありました。

でもこの出来事は、 ”やっぱり選択されたんだよな” って思うんです。
<私と別れてしまうかもしれない恐れ>より、元カノの支えになりたい気持ちや本当の事を私に伝えて受け入れてもらいたい気持ちなど含め、<自分の気持ちに正直に生きること>の方をフランスが選んだ結果だったのだなと。

私と別れても、フランスにとっては譲れない価値観だったということなんですよね。そして、私も同じく、フランスと別れても、フランスの価値観は受け入れられなかったということだったのです。

人はみんないろんな事に対するいろんな価値観を持っているので、全てが一致する人なんて当然いません。そんな中で、一緒にいたい人とどう長く心地よく関係性を築いていくかは、常に「自分は何を選択していくのか」に向き合うことにかかってくるんじゃないかって思うんです。

これは自己表現にもあてはまる、とても重要なことです。どんな自分を表現して社会と付き合っていくか、その選択次第で周囲の人、社会からの反応は当然変わってくるということを、私たちは知っておかねばなりません。

”挨拶をしない自由”があるんじゃないかと思うんです

少し前にX(旧Twitter)で、こんな投稿を目にしました。

挨拶をしない自由を選ぶ青年

インターネットテレビ局ABEMAの「#アベプラ」で、ある日の議論となった<挨拶強要はアリ? ナシ?>というテーマ。<挨拶の強要はナシ>派として、番組スタッフからのインタビューに答えていた20代男性についての投稿です。

2022年10月14日にインターネットテレビ局ABEMAの「#アベプラ」で放送された一部分が今になってSNSで話題になっている。この日の「#アベプラ」は、“挨拶強要はアリ? ナシ?”をテーマに議論することになり、“挨拶の強要はナシ”とする20代の男性が、顔出しで番組スタッフからのインタビューに答えていた。

この男性は、「挨拶するかしないかの基準も人によってバラついていると思っていて、挨拶しない自由があるんじゃないかと思っています」とし、職場ですれ違うだけの人や、ドアを開ける際などの、形式だけの気持ちのこもっていないような挨拶は意味がないので、する必要がないと指摘する。

そして「どんどん常識って変わっていくんで、今の若い人たちが挨拶ってしなくてよくない? って思ったら、次の世代を作っていくのは若い人たちなので、そっちが正しいんじゃないかなと思いますね」と自身の考えを述べていた。

集英社オンライン”「挨拶しない自由があるんじゃないか」大炎上してしまった渦中の20代男性を直撃! ネットでの批判に「私は挨拶をします」”

皆さんは、これを読んでどう思いましたか?
私は、自己表現の観点から、このように考えるのです。

「挨拶をしない」という在り方を選択することはもちろん自由。考えるべきなのは、その選択をすることによって起こり得る現実を、自分がどう受け止めるかです。

「あの人は挨拶をしない人」と一線を引かれるかもしれませんし、仕事の任され方も変わってくるかもしれません。自分が選んだ在り方によって引き起こされる周囲からの反応、自分への扱いも引き受けることが必要になるんです。

こんなはずじゃなかった・・!を起こさないために

自己表現においても、在りたい自分を表現したり、自分が思ったように在ることはもちろん自由です。

しかし、”その在り方で社会と接点を持つと、どうなるのか?”という、自分の選んだ在り方によって起こるであろう反応や結果を想定せずに、その在り方を選択すると「こんなはずじゃなかった」という想定外の、あまり好ましくないギャップが生まれてしまうことがあります。

というのも、自己表現のファーストステップである、出したい自分を解放する自己解放に取り組むと、子供っぽい自分や、頑張らない自分の解放に至ることが少なからずあるんですね。その子供っぽい自分、頑張らない自分を出すことで、もしかしたら離れていく人がいるかもしれないということなんです。

だけど同時に、新たに好きと言ってくれる人、出会える人もきっといるはずです。ちょっと乱暴な言い方かもしれませんが、離れていく人をとるのか、新たに好きと言ってくれる人、出会える人をとるのか、その選択とも言えます。

その自分で社会と接していくと、どうなるか?

本当に出したい自分を思いっきり表現できたなら、とても解放的ですよね。ですが、出したい自分が見つかった次のステップとして、”その在り方で社会と接点を持っていくとどうなるか?”を俯瞰して見ることも、忘れずに取り組んでいかねばなりません。

出したい自分を表現したい気持ちと、自分が手に入れたい現実を照らし合わせて、行動や表現を選択していく。そうすることでだんだんと、自己表現によって起こるであろう結果を想定した上で、在り方を決められるようになっていきます。自分が本当に納得した自分で、出会いたい人と出会っていくことができるようになるんですね。

あなたが今選択している表現や在り方は、どんな現実をあなたにもたらしているでしょうか?
あなたが表現したい自分を出してみると、新たにどんな現実が起こりそうでしょうか?

あなたの自己表現の参考になれば嬉しいです。

ご感想をお待ちしています

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今後の発信や作品創りの参考にしたく、
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