「可愛い」から、「ピンクが大好き」
最近、ますます女子化が進むのは娘(3歳)。
ピンクが大好きで、持ち物全てがピンクづくめになりつつあります。
こちらから促した覚えは全くないのに、いつの間にかそうなっていってしまっているんです。
そんな娘の様子に感化されてか、義両親もフリフリの洋服をプレゼントしてくれます。この間はとうとう、プリキュアがプリントされたトレーナーを贈ってくれました。ウッキウキでそのトレーナーを体にあてる娘。「この可愛いプリンセス、だぁれ? 」と目がハートになっています。実は密かにずっと避けてきたこの状況・・。とうとうプリキュアへの沼落ちも、そう遠くはないことを確信した今日この頃です。
「さくは可愛いから、可愛いピンクが大好き」
「可愛いドレスのプリンセスが大好き」という娘を見ていると、なんとも言えない複雑な気持ちになります。”好き”があることは良いのだけど、それは本当に純粋な娘の感性なのかどうかと、若干気になってしまうのです。
どうして気になってしまうのだろう…とちょっと振り返ってみたところ、一つ思い当たることがありました。プロフィールや自己紹介で、例えば「自分はADHDなんです」、「繊細なんです」、「社会不適合者なんです」というように書く人を見かけますが、相手とかかわっていく段階の最初のうちからそのように、自分の在り方を定義づけてしまって、果たして大丈夫かなと心配してしまうんです。
その言葉によって、相手にすごくざっくりと定義づけされてしまうことになるけどいいのだろうか?
本当は知ってほしい、他のさまざまな素晴らしい側面が、もっとあるのではないだろうか?
そんな心配です。
行動や性質を、血液型や診断にはめ込むの?
定義づけと言えば、「あなたは〇〇タイプです」という診断結果がシェアされている様子をSNSでもよく見かけますよね。皆さんも、どれかやったことがあるよ!という人は多いのではないでしょうか。
ちなみに私は、診断ツールに昔から全く興味がなかったんですね。今もそうです。だから、「性格診断であなたは●●タイプだね」ですとか、「私は●●タイプだからこれが苦手だったんだ〜」と盛り上がっている会話には、全然入っていけないところがあります。
型にはめられるのが嫌いだったのかなと振り返ると、そういうわけでもなさそう。ただ単純に興味が湧かなかったのと、「私はどうしてこんなことをしてしまうんだろう」ということに、悩むことがあまりなかったのかもしれません。
血液型でさえも例外ではありません。初めて知ったのは息子を妊娠してから受ける血液検査だったので、30過ぎのタイミングでした。両親がA型とB型だったので、AかBかABなんだろうとは思っていましたが、血液型に性格を当てはめて盛り上がる、クラスの女子の会話には全くついていけなかったんですよね。「○○○君はB型だからマイペースなんだよねー、B型の人って苦手」とか、「○○○ちゃんはA型だから真面目だね〜」とか。
自分や誰かの行動や性質の原因を、血液型にはめ込むロジックが、理解できなかったんです。
一つの定義づけで簡単に、相手の脳内にカテゴライズされてしまう
少し前に、気になるXのポストを目にしました。
言及されている元は『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(著・帚木蓬生)
https://amzn.asia/d/3rAXQ2M
らしいのですが、これってすごく興味深いなと感じたんですね。
今まで、ギャンブル依存症の人のイメージは、
・ギャンブル好きな人
・労働しないで大勝ちを狙う人
などといったとてもざっくりとしたものでした。
「全く自分には関係のない、世界の違う人」としか思っていなかったんです。
だけど、その本質は「同じ行為を繰り返しながら、違う結果を期待する」という見解があるのだとしたら、途端に見方が変わります。自分にもその性質が少なからずあるなと思ったし、自分もギャンブル依存症になる可能性が十分にあると思うと、それまでざっくりと捉えていたギャンブル依存症のイメージが、かなり変わってくるということなんです。
「あなたは〇〇タイプです」といった診断ツールには全く興味のない私ですら、ギャンブル依存症の人に対しては「ギャンブル大好きな人」とざっくりとしたイメージを持っていたように、私たちは、一つの言葉(例えば、男性とか女性とか日本人とかサラリーマンとか主婦とか)に、大体ざっくりとしたイメージしか持っていないということはよくあることではないでしょうか。
ということは、一つの言葉で簡単に、相手の脳内にカテゴライズされてしまうということも現実として認識していないといけないのではないか、と思うのです。
その定義づけ、本当に必要?
自分の中にはいろんな自分がいるので、もちろん素晴らしい自分もいるはずです。
私の周りには、その他の素晴らしい側面でまず認知され、深く付き合っていく内に、「そう言えば実はADHDなんです。」と伝えている人もいます。だけどそういった人は、まずその素晴らしい側面で愛されているので、苦手なことがあっても、それが「好き」に不利に影響することはないように見えるんですね。そんな、自分が本当に素晴らしいと思う側面で、定義づけを採用することも可能なんです。
どんな自分で社会と接点を持っていくかは、自分で決められます。本当に自分にとってその定義づけが必要なのかどうかを見極めて、自由な自己表現ができるようになることが大切だと思っているんです。
娘の「女の子だからピンクが好き」とか「女の子だから可愛い方が良い」という定義づけも、彼女にとって本当に必要なのだろうか。
彼女らしい自由な自己表現ができるよう、これからも見守っていきたいなと思っています。
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